最近、ランニングを始めました。
ただの運動不足解消のつもりだったのに、
走り始めると胸の奥に、昔の痛みがふっと浮かぶ瞬間がある。
それは、父との記憶です。
■ 幼稚園の頃から、週末は「家族のランニング」だった
私が幼稚園の頃、週末になると父と三姉妹でランニングをする、
そんな“家族の習慣”がありました。
でも、末っ子の私はいつもお姉ちゃんたちに負けるし、
体力もないし、走ることなんて全然楽しくなかった。
むしろ、
「また週末が来てしまった…」
と、子どもながらにため息をつくほど。
そして気づけば、
父のことが少しずつ嫌いになっていった。
■ 忙しい父と、遠い距離。
父は、私にとって“怖い男の人”だった。
家の中から聞こえてくるのは、
父の怒鳴り声と、泣いている姉の声。
自分の番が来るのを、
息を潜めて震えて待っていた。
「次は私が怒られるかもしれない」
「どうしよう、どうしよう…」
そんな恐怖が、週末のたびに私の身体を固くしていった。
この頃から私は、
“怒りを出すことの禁止令” を自分にかけるようになったのだと思う。

■ 大人になって気づいた、「怒り」への拒否反応
怒ることができない。
怒りを感じると、自分の中で凍りつく。
怒る人を見ると、怖くて逃げたくなる。
このパターンの根っこは、
全部あの頃の週末にあった。
父の怒鳴り声に怯えていた私は、
「怒り=危険」
「怒りを出すと愛されない」
そう無意識に学習してしまったんだと思う。
その影響は大きくて、
大人になってからの人間関係やパートナーシップにも出ていた。
男の人が苦手で、
離婚も経験した。
そのたびに、心のどこかで父を責めた。
「こんなふうに育ったのは、全部父のせいだ」
「ちゃんと愛してくれなかったからだ」
…そんなふうに、父を呪っていた時期も確かにあった。
■ だけど、自分と向き合い続けて見えた“別の景色”
私は、自分との対話を重ね続けてきた。
痛みを直視し、
感情の構造をひも解き、
怖さと向き合い、
自分を抱きしめ直すプロセス。
その中で気づいた。
私がずっと避けてきた“怒り”の奥には、
父に届かなかった 「寂しさ」 があった。
そして、
父は父なりに、
不器用で、必死に生きていた“ただの人”だったんだと知った。
■ 3年前、初めて素直に話せた日
それは、特別な日ではなかった。
突然ドラマのように泣き合ったわけでもない。
でも、気づいたら私は、
ずっと胸の奥にしまっていた気持ちを
静かに父に伝えていた。
父もまた、初めて自分の内側を見せてくれた。
その日を境に、
私たちの関係はゆっくりと溶けていった。
父に“親の役割”を求めるのをやめた。
私は、父を“人として”見られるようになった。
その瞬間から、
私の中の長い長い緊張がほどけていった。

■ 今では、年に数回 一緒にごはんを食べる
昔の私からしたら信じられない景色だ。
でも今の私は、
父との距離を自然に受けとれるようになった。
「父と見れる桜も、あと何回だろう」
そう思うと、
生きているうちに
人として向き合い直せて本当によかったと思う。
■ ランニングをしながら思う。
あの頃の私は、
恐怖と寂しさを抱えながら
小さな身体で“走らされていた”。
でも今は——
自分の意思で、
自分のペースで、
軽く息をしながら走っている。
同じ“ランニング”なのに、
意味がまったく違う。
これは、
自分と向き合うことで人生が変わる証拠だ。
■ 人は、いつからでも変われる。
関係も、いつからでもやり直せる。
過去の痛みが消えるわけじゃない。
あの週末の怖さも、泣き声も、身体は覚えている。
でも、その痛みを抱えたままでも、
人生はもう一度、やり直せる。
私はそう証明できた。